生活者のプライバシー意識が高まり、マーケティングにおける技術環境も変化しています。
企業は、ユーザーのプライバシーに配慮しながら、マーケティング活動における適切な意思決定を下さなければなりません。
そうした中でのマーケティング投資において、前回の記事では、「正しい目的地設定」と、「鳥の目」「虫の目」「魚の目」という 3 つの視点の組み合わせが重要であると指摘しました。
- 正しい目的地の設定:KGI に影響を与える最も大きな要因の特定とそれに合わせた KPI の見直し
- 鳥の目で俯瞰する:広告効果を横並びで計測および評価して、全体の広告投資配分の判断に活用するマクロ視点
- 虫の目で精査する:個々の広告施策の正当な広告効果を高いエビデンスレベルで把握するミクロ視点
- 魚の目で流れを捉える:ユーザー動向とそれに伴う広告効果の変化を察知して最適化するフロー視点
今回は、前回に続いて架空のアパレル企業を例に、より実践的なアプローチを見ていきます。
意思決定の誤り、まず見直すべきは?
アパレル企業の CMO を務めるミン氏は、広告の効果測定における目的地の設定を怠ったうえ、単眼的な視点によって意思決定を誤ったことで、利益目標の達成が困難な状況に直面していました。
そこで、友人である食品メーカーのヨシダ CMO のアドバイスをもとに正しい目的地と「3 つの視点」を組み合わせた社内プロジェクトをスタート。再び成長軌道に乗せようとしています。その具体的な内容を見ていきましょう。
なお、以下の内容はあくまで架空の話ですが、Google の広告領域の費用対効果を分析する担当者が、日本国内の数多くのクライアントと共に取り組んできた実際の広告効果測定プロジェクトからの示唆に基づいています。
社内プロジェクトを始めるにあたり、ミン氏がまず取り組んだのは、KGI(キー・ゴール・インジケーター。企業にとっての重要目標達成指標)に影響を与える最も大きな要因(キー・ビジネス・ドライバー)の特定と KPI(キー・パフォーマンス・インジケーター。各業務の具体的な目標設定)の見直しでした。向かうべき方向が定まらなければ、成果として何を計測すべきかがブレてしまうからです。
キー・ビジネス・ドライバーを特定する手法としては、事業構造を顧客数や顧客単価などの要素に分解してボトルネックを見つけたり、統計分析で重要な変数を探したりするなどの方法が考えられます。しかしデータがすぐに分析できる状態に整備されていなかったため、ミン氏はアンケート調査を用いて、主要な顧客層とそれ以外に分けた上で、それぞれの購買プロセスのボトルネックを探すことにしました。
調査結果を分析すると、30 代女性からの認知と購入経験の低さが課題として浮かび上がってきました。競合ブランドと比べても、そこに成長の余地が大きいことは明らかでした。
目的地を定めたら、次は広告施策全体の俯瞰的な分析(鳥の目)です。
ミン氏は、ヨシダ氏の「『鳥の目』で俯瞰的に広告効果を計測して、広告投資配分の判断に活用する」というアドバイスを思い出しながら、MMM (マーケティング・ミックス・モデリング) に取り組みました。
MMM は、マーケティングなしでの売り上げと、マーケティング成果による売り上げを統計モデルによって分解してそれぞれの貢献度を明らかにする手法です。調査会社とともに MMM に取り組んだ結果、テレビ CM やチラシといったオフラインの広告への過剰投資と、動画広告とアプリ広告の過小評価が明らかになりました。これは、従来の個別施策におけるレポート上の結果とは異なる評価でした。
この結果にミン氏ははじめ、従来の認識との差に違和感を覚えたものの、動画コンテンツやアプリの利用時間の増加といった生活者の変化を考えると、納得感もありました。効果測定ツールでは把握しきれない動画の視聴行動も、購買に影響していると考えたほうが自然でした。
ただし、予算配分をすぐに大きく変えることにはリスクを伴います。そこでミン氏は「エリア別配信テスト」によって、Cookie やモバイル デバイス ID の影響を受けない手法による広告の効果測定実験を実施。個々の広告施策のビジネス貢献を正当に評価(虫の目)しようとしたのです。
その結果、動画広告とアプリ広告の有効性が明らかになりました。そこでミン氏は、それらの広告への投資強化に大きく舵を切ることにしたのです。
さて、ここまでのミン氏の判断を以下で詳しく見ていきましょう。
正しい目的地を設定する:キー・ビジネス・ドライバーの見極めと KPI の設定
正しい目的地の設定はすべての起点です。目的地の設定には、KGI の明文化と社内での共通理解、それに即したキー・ビジネス・ドライバーの見極め、適切な目標と KPI の設定が必要です。
目標の設定にはさまざまな方法がありますが、たとえばミン氏のように、市場調査や顧客データをもとに顧客像(ペルソナ)とその行動プロセスを想定する方法があります。この場合、自社の商品を購入するペルソナを再確認した上で、各ペルソナの認知から、検討、購入までのステップを想定し、KGI を達成する上でペルソナごとのボトルネックを推定して、それを施策の KPI に落とし込みます。
また、KPI が適切に設定できているかどうかのチェックも必要です。定期的なレビュー(後述する「魚の目」で解説)の際に、KPI の変化が本来達成したい目標と連動しているかを確認しましょう。サーチリフトやコンバージョンリフトで精緻に見たり(虫の目)、全体最適の観点を加味した MMM (鳥の目)を振り返ったりといったことも大切です。
鳥の目:予算配分の悩みに応える「MMM」で全体を俯瞰する
ミン氏と同様、多くの企業の頭を悩ませている課題の 1 つが広告の予算配分の最適化ではないでしょうか。限られた予算をどう配分すれば成果を最大化できるのか、テレビとデジタルの広告予算比率はどの程度が適切なのか ——。
「MMM」を活用することで、この問いに対する意思決定の材料を得られます。
前述の通り、MMM はマーケティング成果による売り上げを分解、比較し、増減率や貢献度を明らかにする手法です。個別の施策単体ではなく全体を評価できるため、俯瞰的な示唆(鳥の目)を得られるのが特徴です。
MMM から有用な示唆を得るためには、投入する変数の網羅性や取捨選択の工夫、費用対効果の区間推定が可能な手法の採用、各種指標を鑑みた統計モデル精度の判断、結果を次のアクションにつなげるための改善策の検討といった複合的な観点が必要となります。
Google は 2020 年に、ニールセンおよび Facebook とともに「日本マーケティング・ミックス・コンソーシアム」を発足させ、MMM の認知度の向上や、広告主の理解を助けるための情報を発信しています。MMM は 1950 年代からある、マーケティング投資対効果を把握するための古典的なモデルですが、データセットがより簡単にかつ精緻に把握しやすくなった現在、その有用性や実効性が見直されているタイミングに来ています。
虫の目:実験で、個々の広告効果を正確に測定する
キャンペーンを設計したり、広告施策の結果を振り返ったりする過程からは、さまざまな仮説が生まれます。広告施策とビジネス成果の因果関係は、実験を通じて検証できます。
マーケティングの実務でよく用いられる手法は、ユーザーまたは地域を「テスト」「コントロール」の 2 つのグループに分割し、結果の差分を取る方法です。いずれの場合も、両者のグループを極めて同質的に設計し、バイアスを排除することが重要です。そのためには、実験対象を無作為に選出してグループ化する「ランダム化比較試験」が最も有効です。
ユーザー分割型実験の詳細は「効果測定に潜むバイアスを避けるには? 広告を正しく評価するための 4 条件」を、エリア分割型実験の詳細は「広告効果を見極めて次のアクションを -- エリア別配信テストを考える」を参照してください。
このような実験を行った上で、「差分の差分法」や「CausalImpact」(コーザルインパクト)のような統計的手法を用いることによって広告介入効果とその因果性を検証できます。
「実験結果から気がついたことがあるんです」
さて、ミン氏は「鳥の目」と「虫の目」を組み合わせたアプローチによって、オンライン、オフラインの広告効果を横並びで測定、評価できるようになり、適切な意思決定ができるようになりました。
その後ミン氏たちは、どのように改善施策を進めていったのでしょうか。
当初ミン氏は、利益目標の達成のために、EC を統括するデジタルプロモーション部に対して、運用型広告の目標 CPA の引き下げを命じました。
しかし MMM を活用した俯瞰的な分析や、個別の施策の効果測定により、ミン氏は自らの意思決定が誤っていたことを再認識しました。そしてデジタルプロモーション部と、テレビ CM を担う広告宣伝部が一堂に会した場で、自らの意思決定の誤りを認めました。
するとしばらく沈黙が続いた後、デジタルプロモーション部の社員であるヒロタ氏がこう切り出したのです。
「実験結果から気づいたことがあります。今回 30 代女性に向けて『セールの告知』と『バーチャル試着の機能訴求』の 2 種類のクリエイティブを配信しましたが、購入意向に関する態度変容の効果は、後者が 3 倍以上も高かったのです。
コロナ禍で以前よりも試着ができなくなり、アプリ上での『バーチャル試着』のニーズが高まっているのかもしれません。この機能をもっと知ってもらえたら、EC を今まで以上に使ってもらえるのではないでしょうか」
この発言に触発され、他の社員たちからもさまざまな仮説やアイデアがあがりました。これまで CPA の変化に一喜一憂していたメンバーにとって、この日が大きなターニングポイントとなったのです。
その後は、優先順位の高い仮説から順に、エリア別配信テストで検証していき、数カ月後には有効な施策が見えてきました。
そんな時、ヒロタ氏は 1 つの分析結果をミン氏に見せました。エリア別配信テストでの検証結果と EC、店舗の売り上げとの相関関係を分析したものでした。
「同様の顧客層に対して何度か実験をしたところ、エリア別配信テストによる売り上げのアップリフトと従来の効果測定ツール上での売り上げが、相関していることに気づきました。またこの相関関係は、EC の売り上げだけではなく、実験を行った地域の店舗売り上げにも影響していそうです」
仮説を受けて、ミン氏主導で効果測定ツールのコンバージョン数と CPA を、実験結果をもとに補正して広告を運用してみることにしました。その結果、売り上げは大きく改善したのです。
それ以降、ミン氏のチームはエリア別配信テストを続けていましたが、広告を配信しないコントロールグループの機会損失が大きいという理由から、テストの実施は、従来と大きく異なる仮説が生まれた場合のみに限定するようになりました。その代わりに、実験結果との整合性をとりながら、効果測定ツールをベースに日常的な広告運用を行うスタイルが定着していったのです。効果測定と改善を繰り返したのち、再び MMM で全体的な状況を確認するようにしました。
プロジェクト開始から 1 年後 ——。
今期の利益目標はあと一歩のところで未達でしたが、何をどうすれば達成できるのか、ミン氏の目にはその道筋がはっきりと見えていたのです。
魚の目で変化を捉える:仮説から検証のループ
さて、ミン氏の物語を通して見てきたように、MMM やエリア別配信テストなどの手法を用いることで、広告全体や、個々の施策の正確な効果を推計できます。
ただし、準備や分析に比較的多くの時間や人的、金銭的なリソースを伴う場合があり、四半期に複数回といった高頻度での実施は現実的ではないという意見もあると思います。また「実験」による検証の場合は、広告を配信しないコントロールグループを設ける必要もあるため、機会損失も生じます。
ですから、効果計測のベースとなるのは、日ごろ実施している定期的な振り返りです。そこから、日々の広告効果の変化を察知する(魚の目)ことが重要なのです。
振り返りでは、クロスメディアで目標ごとに横並びで施策を評価する定量分析も大切ですし、「なぜ生活者が期待する態度変容をしなかったのか」といった定性分析も重要です。定性分析から仮説を構築しプランに反映させて配信し、配信後に定量分析により仮説を検証、再度、定性分析で仮説の構築といったループを繰り返して学びを得ていくことで、競争戦略において優位に立てます。また一見、費用対効果が悪そうなクリエイティブに目を向ける時間を作ることで新たな仮説も生まれてくる可能性もあります。
最後に今までの内容をまとめてみましょう。まずは、マーケット状況と顧客データをもとにキー・ビジネス・ドライバーを見極めて(正しい目的地の設定)、必要があれば KPI を再設定します。KPI 達成のために施策を実施し、定期レビュー(魚の目)で KPI への貢献を評価。当初の仮説を検証し、新たな仮説を立案します。精度の高い意思決定が必要な場合には実験(虫の目)を行い、本当にその施策が KPI に貢献しているのかを確認しましょう。また、KPI の動きが KGI と連動しているか、施策のポートフォリオが機能しているかを、定期的に MMM やアトリビューション分析で全体最適の観点で振り返り(鳥の目)、予算配分を見直すことが必要です。
個々の視点にはそれぞれ長所と短所があるため、これらを組み合わせて補い合いながらループを回すことが重要です。このように正しい目的地を確認しながら、3 つの目を組み合わせて統合的な効果検証のループを回していくことが、マーケティングの理想的な姿といえます。
Contributor:ミン グエン コンシューマー&マーケットインサイト・マーケティングリサーチマネージャー
2022/09/09 11:30 記事を更新。初出時、 チャートに誤字があったため、修正しました。