海外の商品を買ったとき、あるいは海外旅行中に見かけたとき、日本語の説明に違和感をもったことがある人もいるかもしれません。異なる言語間でのコミュニケーションの難しさは日本語の翻訳に限らず、どの言語でも起こり得る事象です。
そしてこの「翻訳」の難しさは、生活者調査をする際にも意識する必要があります。記事では、その問題点とその対処法をまとめます。
生活者調査における翻訳の問題
私たちが日々、実施するリサーチは、生活者の行動や意識を理解することを目的としており、企業の既存顧客や潜在顧客の悩みと願望を、定量的または定性的な調査手法を通して理解することが重要です。そこからインサイトを得て、製品やサービスの開発、ユーザー体験の改善、マーケティング戦略などに活かします。
とくに、さまざまな国でビジネスを展開する企業にとっては、各国の社会文化と生活様式を理解しなければなりません。たとえば、新製品の開発に向けて「各国の潜在顧客のニーズを理解したい」といったビジネス課題があったとします。その場合は、複数の国に対して同時にリサーチを企画実施する必要があります。
世界各国に拠点を置く Google でも、こうした調査における翻訳に課題を抱えていました。ここからは、実際に Google が各国のパートナーと共同でリサーチをする中で見えてきた翻訳に関する課題とその対応を紹介します。
英語を「単に」和訳した調査の回答傾向
アンケート調査やインタビューなどの手法を通して人々に問いかける際に、重要なのは「適切なコトバで問いかける」ことです。これは人々に「何を」「どう聞くか」といった方法論よりも前に、必ず考えるべきことです。
適切なコトバでないと、質問の意図が伝わらず、的外れな回答が集まってしまいます。そうなると、顧客のインサイトを見誤ることになり、それが原因で最終的には誤ったビジネス判断を下してしまう可能性があるからです。
Google では社内のリサーチをモデルとして、和訳する際に不備がある選択肢を提示した場合と、より原文の意図に沿った意訳をした場合で実際に調査を実施。両者の結果を比較すると、設問の和訳の質が回答にも影響することがわかりました。
たとえば設問の意味が不明瞭な場合は保守的な選択をする傾向にあります。何を聞かれているのか理解しきれない場合、回答者は中間を取るような保守的な選択をしがちだということです。
また文脈を十分に考慮せずに選択肢を直訳した場合、選択肢の意味が不明確になるケースがあります。回答者はそうした選択肢を選ばない傾向にあることがわかりました。
粗悪な設問表に関しては回答意欲の低下も見られました。回答者にとって、アンケートへの回答はある程度の時間と労力がかかります。単語の選択や言葉遣いなどが不適当な設問に対して記述式回答の入力数が低くなりました。もちろん翻訳を介さない調査でも起こり得る問題ですが、こうした選択肢の不備は、翻訳の場合にはより表れやすくなります。
当たり前のことにも思えますが、このように回答者に幅広い解釈や判断を委ねることで、本来聴取すべき回答が得られず、誤った調査結果を招いてしまうのです。
調査の翻訳で多発する 6 つの問題点
もちろん適切に翻訳するのは簡単なことではありません。村上春樹氏との共著『翻訳夜話』『本当の翻訳の話をしよう』もあるアメリカ文学者の柴田元幸氏は、著書で翻訳について次のように言っています。
「世の中では『誤訳』ということをよく問題にし、正しい翻訳と誤った翻訳があると考えられがちだが、極論すればあらゆる翻訳は誤訳である。(中略)いわゆる英文和訳レベルでの正確さもむろん翻訳における重要な要素だが、決して最優先事項ではない。訳者が原文を読んだときに感じたような快感が伝わるような訳文になっていなければ、いくら正確でも意味はない(*1)」
調査は小説とは異なるものの、その本質にある「本来の問いかけの意図を異文化の言語で再現し伝えること」の重要性は、同じです。もちろん簡単なことではありませんが、こうした高い理想を掲げることでようやく、調査の質を適切な水準まで高めていけるのではないでしょうか。
さて、ここからは Google と株式会社morph transcreation が日本で実施したプロジェクトから、調査の翻訳における問題点を 6 つに分類しました。
- 文脈の考慮が欠けた直訳(Literal translation)
- 対象地域に関連のない項目(Irrelevance to the target market)
- 口調を考慮しない翻訳(Tonally-unaware translation)
- 不正確な専門用語(Technically Inaccuracy)
- 一貫性のない翻訳(Erratic user of words)
- 馴染みのない単語の使用(Rarely used vocabulary)
覚えやすくするために、6 つそれぞれの頭文字をとり、「LITTER(リター、散らかしたもの)」と表現しています。
1:文脈の考慮が欠けた直訳(Literal translation)
問題点
個々の単語に対し、原文を生かそうとしたところ、逆に文章が不自然になったり意味がわかりづらくなったりしてしまう問題です。たとえば英語の「Personal life」は、通常であれば「私生活」と訳しても違和感はありませんが、調査の設問という文脈を踏まえた場合、「あなたの普段の生活」と回答者が自分ごとにしやすい翻訳をした方が適切だといえるでしょう。
対処法
原文の文章を読み解き、伝えるべきポイントを理解すること。そのポイントを言語に合わせてどう自然に伝えるかに集中することも大切です。
2:対象地域に関連のない項目(Irrelevance to the target market)
問題点
設問表やインタビューガイドなどにおいて、対象地域とは関連のない例を挙げてしまうこと、または関連のない質問を含めてしまう問題です。たとえば、日本で実施する買い物習慣に関する調査で、スーパーマーケットの例として米国の Walmart や Target を挙げても、それらは日本にはありません。それを知らない回答対象者は誤解してしまったり、自分ごと化できなかったりすることで、結果的に誤った回答をしてしまう可能性があります。
対処法
すべての国家と地域には異なる社会、経済、政治、文化的な特徴があることを想定し、デスクリサーチなどを通して個別に現状を把握するよう努めること。
3:口調を考慮しない翻訳(Tonally-unaware translation)
問題点
とくに日本語や韓国語のように、敬語表現が発達している言語へ翻訳する際に頻出する問題です。調査に協力してくれる回答者への言葉遣いは、原文のまま翻訳してしまうと失礼になり、回答意欲を損ねてしまう可能性があります。たとえばアンケート調査で機械的な案内を繰り返すことや、命令口調で問いかけることで、アンケート自体はもちろん、調査の主体に対してもネガティブな印象を持たれてしまう可能性があるのです。
対処法
調査対象者が誰なのかを考え、対象者に最も適切な口調を考えること。必要に応じて、対象国家や地域の言語文化まで調べる必要があります。
4:不正確な専門用語(Technically Inaccuracy)
問題点
どの分野でも、その領域や業界で通用している専門用語があるものです。しかし原文の専門用語をそのまま翻訳してしまうと、意味のわからない用語になってしまうことがあります。たとえば、米国では Paid Advertisementという表現がありますが、いわゆるトリプルメディア(Paid Media、Owned Media、Earned Media)論に対応した書き方なので、そのまま「有料広告」と訳してしまうと、広告は対価を支払うことが前提なので、日本では違和感をもつ人が多いでしょう。
対処法
思いつきや機械翻訳を信じ込まず、専門用語に関してはより慎重に確認すること。さらに、頻出する専門用語に関しては、用語集をまとめるといった方針を決めておくと中期的な運用がより便利になります。
5:一貫性のない翻訳(Erratic user of words)
問題点
調査という特性上、繰り返し使用する同じ単語は、同じ意味でなければなりません。原文では同じ単語なのに、場所によって異なる翻訳表現が使われてしまうと、全体を通して一貫性がなくなってしまいます。たとえば、英語のVideoを和訳するとき「ビデオ」「動画」「映像」が混在すると、回答者が思い浮かべる対象がその都度変わる可能性が高くなってしまいます。
対処法
この問題は、翻訳方針を決める前に、複数人で翻訳作業を開始すると発生しがちです。各単語に対し、どの意味が最適な表現かを決め、個々の翻訳者も決めた指針に沿うことが重要です。
6:馴染みのない単語の使用(Rarely used vocabulary)
問題点
不必要に難しい表現や、形式張った表現を選んでしまうことで、対象者にとって馴染みのない表現になってしまう問題です。たとえば英語の Inspiredを「感化される」と訳すことは間違いではありませんが、文語的な硬い表現になってしまいます。代わりに「刺激を受ける」「あ、いいかもと感じた」などと訳した方がより回答者にとってわかりやすい表現になるでしょう。
対処法
できるだけ回答対象者に馴染み深い表現を採用しましょう。翻訳を対象者と同じ母国語の人に確認してもらうことで、対処できます。
このように、生活者調査の翻訳では、辞書的な正確さよりも、その目的をきちんと理解し、原文の文脈を再現することが重要です。オンラインでのコミュニケーションを通じて事業のグローバル展開が盛んになっている昨今、今回紹介したような問題は、リサーチに限らず、ビジネスのあらゆる場面で発生し得ます。
それは調査業務の担当者だけでなく、すべてのビジネスパーソンがこの問題の当事者であることを意味します。問題に触れないよう遠ざけるのではなく、本来の意図を伝えようとする積極的な努力が今後ますます重要になるでしょう。