皆さんが日々運用している広告の KPI は、企業のビジネス目標と一致しているでしょうか。ここでねじれが生じていると、広告がビジネス成長へ寄与せず、マーケティング活動が縮小していくことになります。
たとえば創業期など顧客拡大を目指す段階では、ビジネスとマーケティングの目標は一致しやすいものです。広告の KPI としても、顧客の獲得数を追いかければ、それがすなわち顧客拡大というビジネス目標とも整合性の取れるものになります。
しかし事業が成熟期に入ると、ビジネス目標が顧客の拡大から利益率の向上へと移り変わることがあります。そのときに、マーケティングの観点でも目線をそろえ、KPI を再定義する必要があるのです。
こうした「ねじれ」現象の要因と、解決策としての KPI の再定義の進め方については、前回の記事で解説しました。
今回は、ビジネス目標とマーケティング目標の目線をそろえた後、それをどのように広告の運用に落とし込めばいいのかを解説します。
VBB 導入を、ビジネス成長につなげるために
前回の記事で取り上げたように、ねじれを解消するシンプルな方法は、ビジネス成長に直結する指標を広告の KPI に据えることです。たとえばコンバージョン(CV)数ではなく、広告費用対効果(ROAS)を KPI とすれば、売り上げや利益などのビジネス目標に対して広告の直接的な貢献を理解しやすくなります。
その際に使える手法の 1 つが、Google の「価値に基づく入札戦略(Value Based Bidding、VBB)」 です。VBB では、CV が発生する際に、それぞれの CV の価値がいくらになるかを「CV 値」として Google 広告に返します。そのデータを基に Google AI が指定した広告予算に対して件数ではなく CV 値を最大化したり、キャンペーンごとに設定した目標 ROAS の達成に最適化したりします。
ただし、VBB を使いこなすためには、その仕組みを正しく理解しなければいけません。
VBB は売り上げや利益につながる可能性の高い顧客を優先的に獲得するよう入札価格を自動で調整しますが、逆に収益性の低い顧客への過剰投資は避ける方向に働くため、獲得できる CV 数はかえって減少することがあります。そのため、CV 数を KPI にしたまま運用すると、広告効果が悪化して見えてしまいます。だからこそ、まずは KPI について認識をそろえることが何より重要なのです。
また CV 値としてどのような値を返すか、数値の定義を考えることも重要です。オンライン上で購入まで完結するビジネスモデルであれば、そのまま実数を Google 広告に返して売り上げを最大化したり、ROAS を調整したりするのが最もシンプルな方法です。
しかし、成約までに時間がかかる、あるいはオンラインだけでなく店舗などオフラインで複数のプロセスを介す必要があるビジネスモデルではそう簡単ではありません。今回は、VBB 導入でビジネス成長を実現した株式会社SBI証券の事例とトライトグループの事例を見ていきましょう。
できるだけ後ろの工程で発生するオフライン CV をインポートした SBI証券。一方、これまでのユーザーのデータを基に傾向値や予測値を考慮して実態から大きく逸れない形で従来の CV に対して数値を設定したトライトグループ。2 社は具体的にどのように取り組んだのでしょうか。
「優良顧客を優先的に獲得」SBI証券の VBB 導入戦略
SBI証券では、国内株式の売買手数料などを 0 円にする「ゼロ革命」を通じて、顧客満足度を高めユーザー拡大を図っています。2024 年 2 月には、国内で初めて証券総合口座が 1,200 万口座を超えました。
一方、手数料を無料化にしたことで収益は減少します。顧客にとっての利便性を高めることと引き換えに、いかに収益性を高めるかが、同社の経営課題の 1 つでした。
同社がまず着手したのは、広告 KPI の見直しです。従来の CV ポイントは「証券口座開設の申し込み」でしたが、実際には、申し込み後に本人確認書類の審査を経て口座を開設するまでの間に、半数近くが離脱していることが確認できました。
そこで、広告 KPI を「証券口座の開設完了数」 に変え、よりビジネス目標に近づけたのです。
VBB 実装に向けた 3 つの準備
KPI を再定義して組織内の目線をそろえたところで、VBB の実装に取り掛かりました。
実装のために同社が取り組んだのは、大きく次の 3 つです。
1 つ目は、グループ内の連携です。今回の事例では、SBI証券のデジタル営業部と、SBIホールディングスの社長室ビッグデータ担当が VBB 導入に向けて連携。デジタル営業部内に不足していたデータ分析や活用のノウハウをビッグデータ担当が補い、実装まで一貫してサポートしました。またデジタル広告運用とデータ活用という、異なる専門知識を持ったチームがそれぞれの強みを活かすことで、広告施策でのデータ活用のノウハウも社内に蓄積できたのです。
VBB の実装を支えた 2 つ目のポイントは、グループ全体のプライバシーポリシーを整備できていたことです。SBIグループでは、グループ共通のプライバシーポリシーの中で、顧客データのマーケティング活用に関する利用規約を定めています。これにより、社内のファーストパーティ データをスムーズにマーケティング施策に活用できました。
そして 3 つ目は、外部ツールの活用です。新たに CV ポイントとした「証券口座の開設完了」数を追跡するには、本人確認書類の審査を経た後の、口座開設有無のデータが必要です。これは社内に保管されたデータなので Google 広告のタグでは取得できません。
そこで広告領域ファーストパーティ データ活用プラットフォーム「KARTE Signals」を利用しました。新たな開発リソースをかけずに、オンラインで発生する広告関連のデータとオフラインで発生する口座開設に関するデータを統合する仕組みを構築。プライバシーを遵守した形で、Google 広告に口座開設の CV 情報を返せるようになりました。
CV 値を加味した VBB 導入で、口座開設の完了数は 13% 増
これらの準備を進めた上で VBB での運用を開始。最終的な口座開設まで進む可能性の高い顧客を優先的に獲得するよう、入札を自動調整しました。
CV 値を加味した VBB のキャンペーン(目標広告費用対効果に基づく入札)と、CV 値を加味せずに CPA に最適化した「目標コンバージョン単価入札」でのキャンペーンを Google 広告のカスタムテスト機能を用いて同じ割合で配信したところ、VBB の方が CV 値が 22.9% 高い結果となりました。また、口座開設の完了数も 13% 増加しました。
施策を担当した同社の貝原弘樹氏(デジタル営業部)は「VBB の導入を通じて、収益性の向上という事業目標に対してマーケティングが貢献できることを明確に示すことができました。導入の準備として、広告KPI を『口座開設の完了数』という、収益化により近いものへ見直すところからデータ整備まで、ホールディングス側の社長室ビッグデータ担当と二人三脚で進められたことが成功につながったと思います。今後はファーストパーティ データをさらに活用しながら、口座開設後の期待収益に応じた広告配信なども視野に入れています」と話しています。
人材サービス運営のトライトグループ、ROAS 改善への試行錯誤
続いて紹介するのは、医療福祉業界や建設業界に特化した人材紹介、派遣サービスなどを展開する、トライトグループの事例です。
同グループの人材派遣サービスでは、就業を希望して登録した人材の資格や経験などから算定した派遣料金が売り上げとなります。
従来はサービスへの「ユーザー登録数」を KPI として広告を運用してきましたが、派遣先決定に寄与しにくい、あるいは派遣料金の低いリードも獲得してしまうことが課題でした。また派遣先の決定数や派遣料金、派遣期間を考慮した LTV などの指標は、ユーザー登録よりもリードタイムを要するためそのまま広告運用の KPI にするのも困難でした。
営業とマーケティングで違った KPI を「そろえる」
トライトグループでも、まずは社内の目線をそろえることから始めました。
それまで、営業部門は派遣先の決定数、マーケティング部門はユーザー登録数と部門間で異なる KPI を設定していました。売り上げに直結する目標設定ができていなかったため、マーケティング部門の目標を派遣先の決定や派遣料金を考慮した目標にすることで「ねじれ」の解消を試みました。
まずはマーケティング部門において、派遣先の決定率が高い顧客属性を特定するためにデータ基盤を整備。その結果、建設業界の経験者の派遣先決定率が高いことがわかったため、その分析を営業部門に共有しました。
目線を合わせて KPI を再定義した結果、マーケティング部門では派遣先決定の見込みが高いリードの獲得に注力し、営業部門ではそのリードに対して効率的にリソースを強化できるようになりました。
新 KPI 達成に向け、VBB 入札に切り替え
ただし、KPI に定めた経験者の獲得はすぐには進みませんでした。その理由は、未経験者も「施工管理 求人」など経験者と同じキーワードで検索し、それに紐づいた検索広告を通じてサイトを訪れるためです。
従来の目標コンバージョン単価での入札は、いずれの CV も同じ 1 件として入札を行います。つまり、未経験者と経験者を同じ価値として入札を進めてしまった結果、本来優先すべき経験者の獲得に対して最適化できていなかったのです。そこで、CV 値に応じて Google AI が入札を調節する VBB に切り替えました。
まず経験者と未経験者を、それぞれデモグラフィックデータや職種などのセグメントに分け、セグメントごとに派遣先の決定率や派遣料金から試算した CV 値を付与。この際、各セグメントの最適な CV 値を探るために、PDCA を繰り返して最適化を図りました。
最初に課題になったのは、Google AI に「経験者を優先的に獲得する」というキャンペーンの意図をどう理解させ、入札の最適化につなげるかでした。当初運用していた VBB モデルでは、CV 値の設定が複雑かつ Google AI にキャンペーンの意図を正しく理解させることが難しかったため、優先したい見込み顧客に対して学習が進まず、結果として経験者の獲得につながらなかったのです。
その後はおよそ 1 年半にわたって、何度か CV 値の定義を変えながら、試行錯誤を繰り返しました。
最終的には、1 日ごとに数値の変化を追うのではなく、一定の幅を持たせた期間で過去実績と比較して成果を評価する方法に変えたところ、新しい VBB モデルがうまく機能していたことが判明したのです。
派遣先の決定率、派遣料金とも 2 ケタ改善
目標コンバージョン単価入札と比べ、VBB の入札ではその後の成約率が 1.6 ポイント増加し、成約単価も 26% 改善(*1)。 ROAS は 16% 向上しました(*2)。
また VBB が機能し始めたことで、獲得したいリードに対して優先的に入札できるようになり、併せて部分一致キーワードを最大限に活用して、より幅広い顧客層を獲得することもできるようになりました。
この部分一致の活用によるメリットは大きく、以前の目標コンバージョン単価での入札と目標広告費用対効果での入札を比べると、複数のマッチタイプで運用していたキャンペーンに対して、すべてのキーワードを部分一致に変更したキャンペーンでは、ROAS が 31% 改善したのです。
なお、P-MAX キャンペーンでも同じ VBB のモデルを使用してテストをしており、現時点では検索広告と同等の ROAS が確認できています。
トライトの三原元気氏(マーケティング本部 デジタルマーケティング課)は、「Google AI を活用することで、ビジネス目標の成果を改善でき、これまで当たり前だった目標 CV 単価の広告運用から前進できました。また、関連部署との連携を深める良い機会になりました。今回の事例を踏まえて他のサービスでも同様の取り組みができればと考えています」と話しています。
VBB を成功させるために、マーケターが心がけるべきことは
今回取り上げた 2 社は VBB の導入でビジネス成長を実現しましたが、それを支えたのは、部門を超えた連携やデータを計測できる環境の整備です。これらは VBB の運用に限らず、マーケティングを起点にビジネス成長を実現する必須条件でもあります。
冒頭で取り上げたように、こうした一連の取り組みは、企業の成長に応じて調整を重ねていかなければいけません。そのたびに成果を上げるには、運用と振り返りを重ねることが重要です。VBB に関しても一度設定したら終わりではなく、キャンペーン予算や目標 ROAS 値、CV 値などの検証を通じて、さらなる最適化を模索する必要があります。
AI や機械学習の進化に伴い、広告の細かな設定などを自動化できるようになったことで、マーケターの負荷は減ったかもしれません。しかしその分、AI の学習効率をさらに高めていくためには、マーケターによる継続的な検討こそが重要になっているのです。
Contributor:高柳岳士(金融業界担当 インダストリー・マネージャー)/ 伊原春奈(人材業界担当 アカウント・マネージャー)/ 松井開(人材業界担当 アカウント・マネージャー)
2024/06/01 22:30 記事を更新。初出時、KARTE Signals の説明に誤りがあったため、文章を適宜修正しました。