オンラインサービスの普及に伴い、企業やマーケターは世界中に顧客を持ち、グローバルにビジネスを展開できる環境になりました。
社内外の関係者と多言語でやりとりをする際には、文化背景や文脈、ニュアンスが異なることによって誤解が生じる可能性もあります。そしてそれは一歩間違えると、ブランド毀損などの大きなリスクにつながることも考えられます。
グローバルにビジネスを展開している私たちも「Localization(ローカライゼーション)」を重要な組織の課題として位置付けています。ローカライゼーションとは異なる言語や文化を越えた効果的なビジネス展開に必要不可欠な一連のプロセスのことです。ローカライゼーションについてはこちらを参照してください。
異文化で生まれた概念を表現し直す
異文化で生まれた概念や表現を日本で使用する際には、その表現が持つ意味の要素を正確に理解し、それを日本の文脈で捉え直すことが必要です。そうした工夫によって、特定の人だけでなく、より多くの人ががその考え方や意味を共有できるようになります。
そもそも日本では古来より海外から多くの知識を得てきました。古くは中国から、近代になっても欧米からたくさん学んできました。そうした知識をより自分たちが理解しやすく、使いやすくするために用いたのが和製語です。特に江戸時代末期以降、「科学」「野球」「自由」「革命」などの新しい言葉を作り出し、使うようになりました。
こうした和製語は、漢字が表意文字の側面を持つこともあり、直観的に理解しやすい一方、漢字の単語が増えて、同じ読み方の単語(同音異義語)ができてしまい、混乱することもあります。また現在では、幕末期に比べて外来語がある程度一般化していることから、特に英語に関しては外来語を和製語化することなく、そのまま利用するケースが増えているようです。
ビジネスシーンでも英単語まじりの文章をそのまま使うケースがよくあります。使い慣れた言葉であればまだしも、馴染みのない言葉を使ったコミュニケーションは、お互いの理解が進まない可能性もあります。
例えば「Thought leadership(ソートリーダーシップ)」と「Inclusion(インクルージョン)」。Google 社内でも「Thought leadership を発揮するためにどんなメッセージが考えられるか」「Inclusive な環境をつくるためにはどうしたら良いか」というような使い方をしています。
Thought leadership や Inclusion という言葉は、目に見えるモノやことを表しているのではなく抽象的な概念を表す言葉なので、何か実物を見せて理解させることが難しい単語です。特に Thought leadership は leadership(リーダーシップ)というすでに日本語として定着している言葉を含んでいることもあり、会話で出てくるとわかったようなわからないような気持ちになります。中途半端な理解でも会話中ではどんどん使われ、話している最中であっても意味が混乱する、半ば思考停止してしまうようなマジックワードとも言えそうです。
こうした言葉の理解が深まれば、社内外とのコミュニケーションにもきっと役立つはず。そこで今回は、ローカライゼーションのプロジェクトとして、単語にフォーカスした翻訳の一種として、あえて冒頭で説明したような和製語づくりをしてみることで、それぞれの概念をより深く考えてみることにしました。今回の記事では Google のコンシューマー マーケット インサイトチームと、株式会社morph transcreation とが共同で実施した「Thought leadership」「Inclusion」の 2 つの概念を捉える試みを紹介します。
「Thought leadership」の和製語を探る
まずは「Thought leadership(ソートリーダーシップ)」を例に見ていきます。
昨今、英語圏のビジネス分野で注目が集まっている Thought leadership ですが、このニュアンスを言い当て、多くの人が共有している日本語訳(和製語)はまだありません。言葉自体の新しさだけではなく、概念自体も新しいためです。
Thought leadership とは何かを探る
Thought leadership は英語圏でも「What is thought leadership」 の検索量が多いことから、そもそも英語圏でもまだまだ知らない人が多い、または人によって定義が違うキーワードだと言えます。実際 Google の社内でも、日本人同士でよく使用される言葉であるにもかかわらず、この議論をする過程で、同じ Thought leadership という表現でも捉え方はさまざまであることが明らかになりました。
ここで重要なのは「どう表現するか」以前に、そもそも「何を言い当てようとしているのか」が人によって定義にズレがあることです。このズレこそが同じ言葉なのに人によって理解が異なることにつながると考えました。
したがって、共通の理解を持つためには、まず定義を明確にすることが重要です。しかし Thought leadership は、英語圏でも比較的新しい表現なので、その明確な定義はまとまっておらず、専門家や一般的なビジネスリーダーとどう異なるのかが不明瞭です。そこで、「Thought leadership」で画像検索したり、既存のリーダーシップ論の分類をまとめたりすることで、「何を言い当てるべきか」を考察しました。
既存のリーダーシップ論と何が違う?
図のように、英語圏での「Thought leadership」の用例を網羅的に分析すると、まず思想界での利用が多く、とりわけ「顕在的社会課題」に対して世論を動かす存在を「Opinion Leader」、「潜在的社会問題」に働きかけている存在を「Thought Leader」と区別していることが見えてきます。このような Thought leadership の概念がビジネスの世界にも導入されることで、ビジネス上の潜在的課題に対して組織も世論も動かす行為や状態を意味することがわかりました。それは個人や企業が対象である既存のリーダーシップと異なるものです。
考えた和製語は「先索力」
既存の概念との違いから定義を明確にしたところで、次にそれを言い当てられる、日本語の表現を模索しました。上記の要素を含め理解できる表現として考えたのが「先索力」です。「先見」と「探索」という言葉をつなげた造語で、先見的に課題を見出し、方向性を指し示す力といった意味合いを込めています。
新しい概念をうまく和製語化するのはなかなか難しいですが、これはあくまで 1 つの手段であり、必ずしも正解ではありません。コミュニケーションで齟齬が生まれないために、全員が「同じ定義を持つ」「同じニュアンス理解をする」という目的が達成できるのであれば、既存の表現を当てはめることもあり得ます。
「Inclusion」の和製語を探る
次は「Inclusion(インクルージョン)」 です。昨今 Diversity(多様性)が注目を集めたことで、話題に上がることが増えてきたキーワードですが、特に Inclusion は考慮すべき文化的背景があるため、カタカナで「インクルージョン」と表現するだけでは、あまりピンとこないかもしれません。
Diversity、Equity との関係から Inclusion を考える
Inclusion は、Diversity や Equity と並列で使われることが多いため、それらのキーワードとの関係性を考えることからスタートしました。
Diversity とは多種多様な人間が存在している「状態」を指し、Equity は公平かつ公正な社会や文化の目指すべき「成果」のこと、それに対して Inclusion はどのような人でも “ 成功の機会 ” を得られるような環境を作るために積極的に動く「姿勢」というように、さまざまな定義から解釈しました(*)。
3 つの関係を説明するためによく用いられる喩えとして、人種多様性を提唱している米国の活動家ヴェルナ・マイヤーズ氏による「Diversity はダンスへの招待であり、Inclusion はダンスに参加できること、Equity は使用する音楽を選択できること」があります。
さらに英語圏では Diversity、Inclusion、Equity と多様性を起点にした表現が一般的です。
新たに考えた和製語は「互寛容(ごかんよう)」
本来の Inclusion のニュアンスを含めた表現として今回、「互寛容(ごかんよう)」という造語を当てました。現在、Inclusion を日本語に直訳すると「包摂(ほうせつ)」などの表現が当てられることがありますが、この表現自体がなじみの薄い言葉ですし、日本人の感覚に添いながら Inclusion のように「姿勢」を起点に「行動」を促すような表現として検討しました。
たとえば、日本語で「お互い様」という言葉が広く使われています。日本においてはお互いの立場や考えに寛容であることが美徳とされています。今回考えた「互寛容」という表現にはお互いに寛容であろうとする姿勢から、「相手の気持ちを察して」「おもてなし」のように「他者を配慮する姿勢」が社会に根付いているという分析に基づいています。
「互寛容を進めることで、多様性について理解を深めたり、公平な組織が実現できたりする」といったように、順序も変えてみると、より日本語として個々が意識して実現できそうなものに感じられるのではないでしょうか。
つまり、英語圏では Diversity が起点となって、Inclusion、Equity へと広がってきたものが、日本では Inclusion を起点に Diversity と Equity に広がるという考え方に至ったのです。
和製語=造語とは限らない
今回の 2 つのキーワード事例の和製語化では、結果としてどちらも造語を使用しましたが、前述のとおり、これは 1 つの手段に過ぎません。最も重要なことは「その表現で何を伝えようとしているかをチーム内で共通理解を持って推進できること」、さらには「その表現で適切にメッセージを伝えること」です。
Thought leadership の例では、既存のキーワードである「リーダーシップ」のニュアンスと 「Thought leadership のリーダーシップ」のニュアンスが異なるため、あえてリーダーシップという枠ではなくスキルの 1 つとしての “ 力 ” という表現に変換する方法をとりました。Inclusion の例では英語圏と日本の文化的背景の違いを特に意識すべきで、この 2 つの例をとっても、概念を捉え直すための深掘りポイントが違いました。さらに言えば、今回紹介した造語が正解というわけではなく、より適切な表現もあり得るかもしれません。
今回のローカライゼーションそのものが、具体的なマーケティング施策に直接的に反映させることを目的としたものではありません。しかし Thought Leadership や Inclusion という、Google の日々の仕事でよく使われるキーワードのニュアンスが明確になったことで、対外的なコミュニケーションの質とチームの意識に良い影響を与えることになりました。
多くの企業にも、よく見聞きしたり使ったりするけど、実は曖昧なキーワードやコピーがあるのではないでしょうか。これらを深掘って明確にすることで、一緒に働くメンバーの考えが整理され、同じ方向を向いて仕事を進めることができるようになったり、マーケティング活動に必須なメッセージ作りをより強固なものにすることができると考えています。今回の記事がそうしたヒントになれば幸いです。