小売業を取り巻く環境は大きく変化しています。
その 1 つが、生活者の消費行動の多様化です。コロナ禍で、2020 年以降 EC 利用が大きく進み、経済産業省の調査(*1)では、2021 年に初めて市場規模が 20 兆円を超えました。マクロミルの調査(*2)でも、EC での購入者 1 人あたりの購入金額は 2020 年から右肩上がりで、2022 年には前年比で 2.8% 増加。購入率も同様に前年比で 2.5% 伸びました。
一方で、時間とともに、徐々に生活者の EC 利用の傾向も変わってきました。
2021 年 3 月に公開した記事では、2020 年終盤以降に EC の活性化を支えているのは、購入金額の高い利用者層の増加であると結論づけました。今回マクロミルの調査をもとに 2021 年と2022年の購買データを分析したところ、EC 利用に関して積極的に利用する層と利用しない層との間での二極化傾向は依然として変わらず続いていることがわかりました。コロナ禍をきっかけに EC 利用が進み、主にその後 EC 利用が定着した層における活性化で市場が維持され、利用頻度の差が広がりつつある状況だと読み解けます。
また近年、生活者の購入プロセスも変化しています。検討から購入、リピートまでがより複雑化していることは、過去に Think with Google でも取り上げたとおりです。
このような消費行動の変化に加え、昨今のエネルギー高騰や原料高、少子高齢化や人手不足といった社会情勢も、小売業の収益環境を厳しいものにしています。たとえば、スーパーマーケット企業の営業利益率は 2016 年が 1.6% で、2019 年には 1.0% まで低下。コロナ禍の 2020 年にはさらに 0.8% まで下がりました。2021 年には 1.9% まで回復したものの、2022 年は 1.4% と低調でした。 また約 6 割のスーパーマーケット事業者が最も重視する経営課題として「収益の向上」を挙げました。これは前年比で 14 ポイント以上も上昇しています(*3)。
厳しい収益環境の中、小売企業は選択を迫られています。
多様化する生活者のニーズを見過ごすと、顧客満足度で競合に後れをとるリスクが高まる一方で、顧客満足度のために過剰なコストをかけすぎると、投資対効果が見合わずに利益を圧迫する結果にもなりかねません。調達、物流、店舗運営のコストが全面的に上昇する昨今、商品の個装や個別配送が必要な EC の拡大は、適切なコスト管理を伴うことが必要であり、経営の課題と言えます。スーパーマーケットの年次調査でも、290 社のうちネットスーパーを運営しているのは 16.9% で、今後の実施に「積極的」と答えたのは 23.8% にとどまりました(*3)。
つまり昨今の小売業界は、多様化する生活者ニーズに対応しながら、オペレーションの効率化を図らなくてはならないという難題に直面していると言えます。前者を重視しすぎれば、利益の圧迫要因となり、後者を重視しすぎれば、顧客満足度で競合に後れをとるリスクがあるという経営上のジレンマをどのように解消するか、いかに両輪で取り組めるかが重要な経営課題となっているのです。
こうした課題に対して、小売企業の各社が取れる戦略オプションは大きく 5 つに分けられます。
多くの企業は、必ずしも 1 つの戦略に振り切るのではなく、複数の戦略を使い分けています。そのバランスによって企業の方向性が決まっていくのです。
いずれの戦略に対してもコストの効率化と顧客体験価値の向上を同時に推進することは必須ですが、そのための障壁の 1 つとして、バリューチェーンのプロセス間での協業が挙げられます。調達(場合によってはプライベートブランドの生産)から輸送、店舗業務、EC業務、販売促進、配送までの全社的な連携をいかに推進できるかが上に挙げたジレンマを乗り越える重要なポイントです。
小売企業の体制は多くの場合、販売プロセスやチャネルごとに分業化しており、それぞれ最適化が進んでいます。しかし顧客の立場からすると、検討から店舗やサイトへの訪問、購入までは一連の流れであるため、各所が適切に連携していないと、購買体験を損ねる可能性があるのです。たとえば、実際には店舗に在庫があるにもかかわらず EC サイト上に反映されていない、広告で見た商品が品切れで店舗にない、といった場合がこれにあたります。
デジタル化が全社的連携のカギ、データ中心で部門間の連携が進む
そしてこの全社的連携を促す仕組みのカギを握るのが「デジタル化」だと考えています。
デジタル化を通じて、顧客の消費行動や商品の流通、需要をきめ細かに捉えられれば、必然的にオペレーションの効率化も進みます。その結果として、適切な価格での販売や配送のリードタイム削減といった顧客のメリットへと還元できます。デジタルを活用した新しい購買体験も提供できるかもしれません。デジタル化は目的ではなく、むしろ全社連携の手段だと考えることが重要です。
そうしたデジタル化の中で、全社的な連携を促す要素は「プライバシーに配慮したオンライン、オフラインを問わないデータ収集と活用」です。
小売企業におけるデジタル化とは、単に EC での販売を強化するといったオンライン上のみで完結するものではありません。デジタル活用を進めることで、店舗での購買行動や店頭在庫情報のような、「ヒト・モノ・カネ」に関する今まで見えていなかったオフライン情報までもが、データとして蓄積できるようになります。そして、オンラインとオフラインの情報を重ね合わせることで、今まで断片的にしか見えていなかったヒトやモノの動きをより深く理解できるようになります。
また自社の情報に加えて、外部情報も活用できるようになると、新たなソリューションにたどり着ける可能性もあるでしょう。その影響は、必ずしも一部門だけにとどまりません。
一般的にバリューチェーンに基づく小売の業務は、上流から下流までの一方向で表現できますが、データを中心に捉え直すことで、チェーンは図のようなリング状になります。これにより各業務が相互作用し、相乗効果を発揮できるようになるのです。
たとえばデジタル化が進み、店舗内の顧客の行動や店頭在庫の情報をデータとして可視化すれば、それに基づいて店舗レイアウトやプロモーションを最適化することで、実店舗内の売り上げ拡大を図れます。それだけでなく、オンライン上の購買傾向やトレンドと掛け合わせることで適切な価格設定も可能になるでしょう。さらに、在庫状況も網羅的に把握でき、店頭の業務負担の軽減や欠品の削減による粗利改善につながります。これらの情報により、可能性は「調達」や「物流」におけるサプライヤーへのインサイト提供、倉庫でのピッキングや配送業務の効率化などにまで広がり、最終的にはオペレーションコスト全体の効率化につながっていくでしょう。
各プロセスの活用項目例
【調達】
- 商品(共同)開発の高度化
- サプライヤーへの生活者インサイト提供
- 行動・購買データに基づいたプライベートブランドの開発・検証
- 総量での取引最適化
- 総量での需要予測、発注量、在庫量の最適化
- 需要予測に基づく取引価格の最適化
【物流】
- 在庫管理の高度化
- 店頭、店舗、倉庫の在庫のリアルタイムモニタリング
- 倉庫・店舗への在庫補充量の最適化
- 輸配送・倉庫業務の効率化
- 位置情報に基づく拠点の輸送・配送ルートの最適化とリードタイム短縮
- AI を活用した作業員のピッキング効率化
- 物流ネットワーク・出退店のシミュレーション
【店舗業務】
- 品ぞろえの改善
- 需要予測・発注量の精度と粒度の改善
- 店舗レイアウトの改善
- 店頭在庫の最適化
- 棚割の改善
- 最適な店頭在庫補充による機会損失削減
- 店舗・販促の監査業務の省力化
- メーカー監査の半自動化
- 過剰な値引きの抑制、店頭価格の適正化
【販売促進】
- ユーザーの行動分析に基づく顧客体験向上
- 店頭行動履歴を活かした購買体験のデザイン
- オンライン(Web、アプリ)の UI/UX 最適化
- 個別化されたリコメンデーションエンジン
- リテールメディアで顧客接点の拡大
- コスト効率が高い顧客体験づくりのための仕組み導入
- AI を活用したカスタマーサポート
- 広告費や販促費の配分最適化モデル
図で示した項目はあくまで一例ですが、それぞれの情報をデジタルの力で可視化することで、業務プロセス同士が相互作用します。結果として、組織のサイロ化を打破し、全社の連携を促せるのです。
顧客起点でのデジタル化の価値
ここまで説明したとおり、「オペレーションコスト効率化」と「顧客体験価値の向上」を両輪で取り組むためには、データを中心としたデジタル活用の戦略を描くことがカギになります。その際に、オペレーションと顧客、どちらを起点に考えると良いのでしょうか。
前述したとおり、小売業界が置かれている厳しい収益環境を考えれば、オペレーションの効率化に重点を置くのは当然の流れだと言えます。
しかし、この記事ではあえて、顧客体験を起点としたデジタル投資を提案します。先ほどの図で言えば、より顧客との距離が近い右上の「顧客体験」の分野から順にデジタル化を進めていく方法です。
顧客体験を起点とするメリットとしては以下の点が挙げられます。
- 顧客に関するきめ細かなデータを調達や店舗業務に活用することで、より本質的で効率よくオペレーションを最適化できる
- 顧客体験を核として各プロセスのデジタル戦略を描くことで、ボトルネックとなっていた既存部門やチャネルを横断した連携がしやすくなる
- 顧客と距離が近い顧客体験を変化の起点とすることで、PDCA を素早く回せて、成果を持って次の改革につなげやすい
垂直統合型は顧客接点データ、水平分業型はデータ分析の基盤整備が大事
先ほど紹介した小売業の 5 つの戦略オプションを例に、顧客体験を起点としたデータの活用を考えてみましょう。
小売がバリューチェーンの上流に進出する「垂直統合型」の場合、顧客接点となる店舗や EC でプライバシーに配慮したデータの収集分析を進めることで、顧客分析がプライベートブランド開発のアイデア創出に貢献します。それだけではなく、サプライヤーへのインサイトの外販や、そのインサイトに基づいた商品の共同開発も可能になるでしょう。Think with Google で紹介したマツモトキヨシの事例のように、顧客の購買行動に関するデータを保持する小売企業が、メーカーのマーケティングパートナーへと変貌する事例もあります。
同カテゴリの企業を買収して規模の経済を享受したり、自社の強みを別カテゴリに拡大してマネタイズして利益率の向上を狙ったりする「水平分業型」においても、自社でデータ収集や分析の基盤を築くことは重要です。取り扱い商品のカテゴリが拡大した場合でも、自社にデータ収集・分析の基盤があると、データを活かした個客レベルでの相互送客やクロスセル、アップセルが可能になり、売り上げ向上が見込めるでしょう。
そして、上流から下流まで一貫したデジタル戦略を描く上で、顧客を第一に考えたデータ活用は、日本の小売企業にとっても規模の面で大きな強みになります。
広告だけではなくクラウドのテクノロジーも提供する Google は、全社連携を促すリテールプラットフォームになり得ます。さらに、アプリの UI/UX 改善をはじめとした、顧客体験を向上させるノウハウや実績を持つ組織や人材も Google の強みです。顧客起点で「オペレーションコスト効率化」と「顧客体験価値の向上」の両輪を目指す場合に活かせるでしょう。
Contributor : 木村直樹 リテール業界 インダストリーヘッド
2023/3/16 13:12 記事を更新。初出時、 本文に誤字があったため、修正しました。