デジタル技術を活用したビジネスモデルの変革(DX)を進めようとデジタル部門を設置しても、部署を越えた連携や目標設定がうまくいかず、ビジネスの変革まで至っていない企業も少なくないのではないでしょうか。
経済産業省は、DX を進める上での IT システムの見直しについて「ビジネスをどのように変革するかという経営戦略が必要であり、それを実行する上での体制や企業内の仕組みの構築等が不可欠」と指摘しています(*1)。
たとえば、マーケティング部門はコンバージョン数、営業部門は売上など、部門ごとに別々の目標を掲げている状態だと、本来のゴールを見失ってしまい組織のサイロ化(業務やシステムが他部署と連携できずに孤立すること)を招いてしまう恐れもあります。
このような課題を UX の視点から解決する方法論を、Google では「Design Sprint」としてまとめています。Design Sprint は、Google が自社プロダクトの UX 改善に使っているフレームワークで、数日ほどの短期間でプロダクトの開発や改善が可能です。新しいプロダクトやサービスの立ち上げ、既製品への新機能追加、既存サービスのプラットフォーム拡張など、さまざまな用途に活用できます。
Design Sprint のプロセスは、次の 6 つの工程から成り立っています。
この記事では、求人サイト「バイトル」を運営するディップ株式会社が、Design Sprint の考え方を通して、組織のサイロ化を解決した事例を紹介します。同社は、Design Sprint をベースに部門を越えて連携し、プラットフォームを横断したマーケティングを展開。部門間の共通指標として新たに「アプリからの応募数」を設定し、その指標を改善できました。
ユーザー体験を考慮したハイブリッド型マーケティングの実現に向け Design Sprint を実施
求人業界では、提供サービスが Web サービスからアプリへ移行しています。特に若年層を中心にその傾向は顕著で、「バイトル」の平均求人応募数は、アプリが Web の 2 倍というデータも出ていました。
このためディップも、「バイトル」ユーザーのアプリシフトを進めたいと考えていました。ただ、アプリの広告予算を増やすだけでは獲得単価が上がってしまう可能性もあります。その点でマーケティング投資を増やすことをためらっていました。
そこで同社では、Web を中心とした既存のマーケティングからアプリ中心のマーケティングへの単純な移行ではなく、Web とアプリ両方の活性化を目指すハイブリッド型のマーケティングに進化させることを目指したのです。その中でアプリの UX を改善することで、獲得効率を高め、アプリへのさらなる投資に踏み切ろうと考えました。
従来ディップでは、マーケティング部門はインストール重視の KPI、UX 部門は LTV 重視の KPI など、部門によって目標指標が分断され、組織のサイロ化が起きていました。さらに言えば、マーケティング部門の中でも Web 向け施策 とアプリ向け施策で目線がそろっておらず、Web では応募数を重視していた一方、アプリは新規インストールを重視するといった状態でした。
しかしハイブリッド型のマーケティングを実現するには、マーケティング部門、UX 部門、開発部門などのステークホルダーが、部門を越えて連携する必要があります。そこで今回は「ユーザーに価値を届けるスピードをより早めるにはどうすればいいか」という課題を軸に部門間で目線を合わせてサイロを打破するため、それを解決する一環として「Design Sprint」を実施しました。具体的にどのような取り組みを行ったのか見ていきましょう。
部門を越えた指標を共有、組織のサイロ化を打破
今回、同社では UX 部門主導のもと、エンジニア 2 人、デザイナー 3 人、データアナリスト 1 人、企画部門から 4 人が Design Sprint に参加。課題の洗い出しから、プロトタイプの制作、ユーザーヒアリング、プロトタイプの改善までを 3 日間で実施しました。
Design Sprint ではその効果を高めるため、まずはじめに「心理的安全性(サイコロジカルセーフティ)」が重要であるというレクチャーが組み込まれています。新しい発想や気持ちを自由に発言する上で、心理的安全性は不可欠だからです。
実はディップは以前にも、サービスの課題を解決するべく、UX 部門、データ部門、開発部門などのメンバーが、部門を越えて議論したことがありました。しかしその時は参加人数が多かったこともあってか、心理的安全性が十分とは言えませんでした。開発部門のメンバーからの発言が乏しいなど議論が思うように進まず、具体的な解決策を導くまでには至らなかったのです。
今回の Design Sprint で同社は「関係各所がしっかりと意見を言える空間づくり」から始めたことが、ポイントになった」と振り返っています。
Design Sprint の 1 日目は課題や施策を考える際の抜け漏れが起こらないように、各部門のリーダーによる LT(ライトニングトーク、数分間のプレゼンテーション)を実施。それぞれが抱える課題を明確にし、全員で共有しました(Design Sprintの「理解する」「定義する」フェイズ)。その後、参加者が 1 人ずつ課題を出し合い(同じく「発散する」フェイズ)、全員でグルーピングして施策を具体化(同「決定する」フェイズ)。2 日目はプロトタイプの作成(同「試作する」フェイズ)、3 日目はユーザーヒアリングした上で改善案をまとめる(同「検証する」フェイズ)という流れです。
ディップ社内ではこれまで、企画部門で開発したい機能や要望をある程度固めた上で、開発部門に相談するという流れが一般的でした。しかし今回は、LT に開発部門も参加したことで、同じ目的や課題感を持ちながら本質的な議論ができたといいます。
その結果、これまで部門ごと、あるいは Web とアプリで分断されていた目標を共有し、最終的なアクションである「総求人応募数の最大化」という共通の目標を設定できました。
ユーザージャーニーの可視化と共有からプロトタイプの開発まで
ディップが Design Sprint で実行した具体的な改善施策について見ていきましょう。
当初の狙いであった、Web とアプリを横断したハイブリッド型マーケティングを実現するため、アプリ利用者の獲得から LTV( 1 人あたりの求人応募数)向上までのユーザージャーニーの可視化と、導線の UX 改善、プロトタイプの制作からユーザーテストまでを実施しました。
まずはマーケティング部門と UX 部門の参加者が、社内で使っているアナリティクスツールを用いて、顧客の検索行動とアプリ内での行動を可視化。このプロセスを通じて Web とアプリの LTV を分析し、再度 LTV の重要性を組織全体で共有しました。その上で、LTV を改善するための顧客獲得やリテンション(顧客維持)に取り組むという目線を合わせました。
プロトタイプの制作は UX チームのプランナーやディレクター、デザイナーが主導しましたが、その後のレビュープロセスでは、開発部門やマーケ部門など部門を超えて社内の主要ステークホルダーを巻き込みました。その後のユーザーテストでは、サービス提供側の意図を組み込んだデザインや機能が、実際の利用者には見てもらえなかったり、気づいてもらえなかったりするといった課題が明らかになったため、それを踏まえて再度プロトタイプを練り直しました。
月の応募数は 8% 改善、さらなるマーケティング投資への後押しに
3 日間の Design Sprint を終えた後、Design Sprint におけるユーザーテストの反応を踏まえて、実装する UX 案の選定や改善できるポイントを検討、反映し、条件変更画面の改善に取り組みました。
また、実際のアプリ導線でのテストとして、アプリキャンペーンに加え、モバイル端末で Web やアプリに設置したリンクをタップした際に、自動的にアプリ内の特定のページに遷移する「ディープリンク」を実装。その後、「下書きとテスト」の機能を活用して、検索広告からアプリへ遷移する場合と、Web ページに遷移する場合で AB テストを実施し、効果を比較し、広告を配信することで効果差を検証しました。
実際に Design Sprint で検討した UX の改善案 3 つ
それらの結果、アプリからの月間応募数は 8% 改善しました。これを受けてディップでは、アプリへの日別マーケティング投資を 2.5 倍に増額。今後アプリへのマーケティング投資を加速しつつ、さらなる LTV の向上(1 人あたりの求人応募数増加)に向けた取り組みを検討しているとのことです。
Design Sprint で上流の課題から議論したことで、アウトプットに対しても全員が納得感を持てたと言います。「開発部門だから」「企画部門だから」といった壁を取り払い、「利用者の側に立つ」ことを共通の認識とすることで、部門にかかわらず新しいチャレンジができる環境も整ってきたそうです。
今回紹介したような考え方は、さまざまなビジネス課題を解決する起点の 1 つになり得ます。ディップのように、組織のサイロ化を打破し、ビジネスを変革していくきっかけにもなるでしょう。
組織でビジネスを行う上では、共通の指標を設定して部門を越えて共有することは大切です。Google は今後も、Design Sprint の提供やそうした考え方を紹介することで、企業のビジネス課題の解決を支援していきます。
写真左から、Design Sprint をディップ社内で主導した、システム統括部システム開発1部の江幡卓朗氏(プロジェクトマネジメント課マネジャー)、メディアプロデュース統括部メディア編集部の山下ロルミス氏(プロダクトマネジャー)、谷田部成美氏(デザイン課デザイナー)、小林礼実氏(メディア課ディレクター)
Contributor:
インダストリーマネージャー 大石直諒