ヨーロッパ、中東、アフリカ(EMEA)版 Think with Google が 2024 年 3 月に公開した記事を基に日本語に翻訳し、編集しました。

日用消費財を扱うスイスの老舗企業 Nestlé で、グローバル CMO を務めるオード・ガンドン氏へインタビューしました。ソーシャルメディア、データ活用、AI などデジタル環境の変化の中で、同社のマーケティング戦略をどのように変革したのか、そして変わることのない人間の持つ創造性の大切さについて聞きました(聞き手:『The Sunday Times』チーフインタビュアーのデッカ・エイケンヘッド氏)。
「カンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバル」がマーケティング業界のワールドカップだとすれば、ガンドン氏が 2020 年に率いることになったチームは、Nestlé の本拠地であるスイスのサッカー代表と同じく、小国ながらも強いチームだったと言えるでしょう。しかし「マーケティングは、これまでは私たちの DNA の一部とは決してみなされてきませんでした」と同氏は語ります。
同氏は 2023 年、チームの目標として、カンヌライオンズ 2030 でのクリエイティブ・マーケター・オブ・ザ・イヤー獲得を掲げました。スタッフは驚いていたそうです。150 年以上の歴史を持つスイスの老舗企業 Nestlé は、Drumstick、 KitKat、Nesquik、Pelligrino などのブランドで世界的に有名ですが、マーケティングチームはこれまで、表立って目立つ存在ではありませんでした。ガンドン氏は「野心的な目標ですが、素晴らしい伝統を持つこの会社にふさわしいものでした」と言います。

2020 年に Nestlé 初のグローバル CMO に就任して以来、同氏は「全面的な変革」に取り組んできました。就任後 4 カ月ほどで 5 年間のロードマップを作成。オンラインでの売り上げを売り上げ全体の 25% に増やす、デジタルマーケティングへの投資をマーケティング投資全体の 70% まで引き上げる、2025 年までに同意を得た 4 億人のファーストパーティ データを収集する、などあらゆる面で定量的な目標を設定しました。
188 カ国で 2,000 以上のブランドを展開する同社にとって、全社員をときめかせるために、核となる明確なビジョンが不可欠でした。「『目標』はモチベーションを高めるのに十分な大きさで、『メッセージ』は素早く浸透するシンプルなものでなければなりません。そのため、目標設定にはある程度の計算が必要ですが、同時に直感や野心も大切にしています」。
同氏は広告業界で 25 年を過ごし、その後 2015 年に Google に入社しました。「テクノロジーを理解したかったので、内部から学ぶ必要があると考えました」と彼女は回想します。当時は「CMO は死んだ」という見出しが躍っていた時代です。
「CDO(最高デジタル責任者)ばかりが注目されていました」と同氏は振り返ります。しかし、今の CMO の仕事で重要なのは創造性とテクノロジーのどちらか、と尋ねると、同氏は迷わず「創造性こそがすべてです。100% それに尽きます」と答えます。
同氏はテクノロジーを家屋の配管に例えて次のように説明します。「配管は非常に重要です。家の配管が機能していなければ、そこでの暮らしも立ち行きません。しかし、配管さえ機能していればそれでよいということではないのです。マーケティングという家は、ポップカルチャーを理解し、生活者の行動の変化を捉え、ブランドに感情を付与することで成り立っています。テクノロジーがどんなに優れていても、そうした要素が欠けていれば、ビジネスを前に進めることはできません」。
マーケティングは今やエンターテインメントビジネスだ
2023 年 5 月、同氏は社内の創造性を活性化させるために「Creative Pulse」という新たなプログラムを立ち上げました。Nestlé の世界中のブランドのマーケティングチームに最高のキャンペーンを提出してもらい、社内外のマーケティングの専門家で構成された新しいクリエイティブ評議会がそれを審査しました。同氏から各チームへのメッセージは非常にシンプルなものです。「TikTok や YouTube に時間を費やす必要があります。なぜなら、私たちはもっと面白い存在になる必要があるからです。マーケティングは今や、エンターテインメントビジネスなのです」。
2020 年の Nestlé のマーケティング予算におけるデジタル支出はわずか 40%でしたが、2024 年時点では 68% に増加しました。同氏は、コンテンツを TikTok や YouTube などの各プラットフォームの様式に合わせる必要があると強調します。「『また広告か』と思われるようなものにはしたくありません。そのようなコンテンツは、ソーシャルプラットフォーム上では絶対に通用しません。広告代理店がインフルエンサーを真似ようとしても、必ず偽物に見えてしまいます。自分ではない誰かになろうとしても、必ず見抜かれるのです」。そのため、Nestlé からインフルエンサーへの支出は「急増しています」。
インフルエンサーは、各ブランドに合うように極めて慎重に選ぶ必要があります。「インフルエンサーには信頼がなければなりません。そうでなければ、『どうせ報酬をもらっているんでしょ』と見えてしまいます」。しかし一度起用を決めたら、Nestlé は一切のコントロールを放棄します。「インフルエンサーたちは自身のコンテンツを作成します。私たちはそれに手を加えることはありません。それはインフルエンサー自身のコンテンツであり、それを期待して起用しているのです」。
何か問題が起こるのではないかと心配で眠れない夜はあるかと尋ねると、同氏は微笑みながらこう答えました。「ええ、あります。でも、今のところ全体的にはうまくいっています。そして、それこそがスイスの大企業であることの強みかもしれません。『何か新しいハッシュタグがある。すぐに飛びつこう』とはなりません。じっくりと時間をかけるのです」。
創造性にフォーカスする
Nestlé では、インフルエンサーマーケティング以外のすべてのマーケティングは、パートナーである広告代理店が手掛けています。「デジタル化が進めば、クリエイティブエージェンシーは不要になるという意見もありましたが、私はそうは思いません。私たちは、これからも広告代理店を必要とし続けると確信しています」
同氏は、Nestlé が数十年にわたって提携してきた広告代理店との協業を継続しています。社内に広告制作部門を置くことにはまったく関心がありません。「本当に優れたクリエイターであれば、一般企業ではなくグローバルな大手広告代理店で働きたいと思うでしょう」。
提携する広告代理店は、世界各地にある Nestlé の 41 の自社スタジオで、すべてのマーケティングコンテンツを撮影します。コンテンツ制作を自社スタジオに集約することで、コストを半減させ、多数の新しいプラットフォームで、大規模なキャンペーンを同レベルの高品質で展開できます。「YouTube 向けだからといって、粗悪だったり、よく練られていない内容で良いとする理由はありません」
ファーストパーティデータ収集の習慣を身につける
たとえば、YouTube を通じて Nestlé のキャットフード「Purina」を選んでもらえるとして、Amazon ではなく Purina の公式サイトから購入するよう促すためには、どうすればいいかを尋ねると、同氏はまた微笑み「それは難しい質問ですね」と答えました。Nestlé のオンラインでの売り上げはすでに全体の 16% に達しており、ファーストパーティ データの収集も目標に対して順調に進んでいます。
メリットは、顧客と企業の双方にあると同氏は言います。「顧客は自分が飼っている猫に最適な商品の情報を、よりパーソナライズされた形で得られます。そして、企業はこれまで過大評価していたサードパーティ データの価値を見直す必要があるのです」と指摘します。

「『サードパーティ データを使って、X 人の人にリーチできた! 素晴らしい』と感じるかもしれません。しかしその半数が会社の商品に興味を持っていないなら、意味がありません。これこそが、私たちがデータ戦略を立てる上で最も大切にしていることです。私がグローバル CMO に就任してロードマップを作成したとき、ファーストパーティ データも整理しました。なぜなら、その多くが古すぎたり、適切なレベルのデータとプライバシーではなかったと考えたからです」
「多くのデータを失いましたが、問題ありません。今では、データ取得の方法に関して一切妥協していません。適切に人々の同意が得られていないデータは、即ゴミ箱行きです」。サードパーティ データがまだ法律で規制されていない国であっても、もう使うことはないと同氏は言います。「良い習慣を身につけましょう。歯磨きと同じことです」。
新しいマーケティング環境に適応する
ガンドン氏にとって、現在のマーケティング業界での最大の変化は AI です。同氏は現在、勤務時間の少なくとも 15% から 20% を AI について考えたり話したりすることに費やしています。AI に対してワクワクしているのか不安なのかと尋ねると、「両方です。でも、基本的には前向きに捉えています。ただし、政府は法整備をする必要があると思います」。
新しい生成 AI ツール(英語)を活用することは、創造性を飛躍的に高めるだけでなく、コンテンツを制作するための移動を減らすのにも役立つはずです。それは地球にとっても良いことでしょう。
サステナビリティは、今や CMO の仕事の大部分を占めています。私がスイスのヴヴェイにある Nestlé 本社でガンドン氏と過ごした日、同氏が世界中のコーヒーチームに、傘下の Honest Eggs による広告キャンペーンを発表するのを見ました。
Honest Eggs は卵の生産や販売を行う会社です。広告では、鶏を放し飼いしている証明として、鶏専用の歩数計「FitChix」を着用した鶏をフィーチャーしました。これは、ユーモアのマーケティング力を示す良い例です。サステナビリティのメッセージを伝える上での課題は、グリーンウォッシュではないかという生活者の疑念を打ち消すことと、そして何より、退屈させないことです。ユーモアは最も強力なマーケティングツールかという質問に対して、同氏は「そう思う」と同意します。
AI の話に戻りますが、同氏が確信しているのは「AI は人間の創造性の捉えどころのない魔法を再現することは決してできない」ということです。「人間の手が常に必要になると思います」と言います。
またデジタルマーケティングへの投資をマーケティング予算全体の 70% に引き上げるという目標を掲げていますが、今のところその目標をさらに増やすつもりはないと話します。「伝統的なメディアに対しても、予算の 3 分の 1 は維持するべきだと強く信じています」。大規模な従来のメディアキャンペーンは、売り上げとブランディングのどちらにとって重要なのかと尋ねると「両方です。もちろんデジタルメディアの台頭で、伝統的なメディアによるキャンペーンは減少するでしょう。しかし、両者のバランスを取る必要があると思います」と答えました。
グローバル CMO への道、そしてその先へ
Nestlé のグローバル CMO の役割は困難な挑戦ですが、「変革の一翼を担う」機会は魅力的だとガンドン氏は話します。近年、CMO の地位は、CEO への登竜門として CFO に取って代わる傾向があります。WFA のグローバル・マーケター・オブ・ザ・イヤー 2023 にノミネートされた同氏は、まさにそのキャリアパスにふさわしい人物です。それが最終目標なのでしょうか。
「CEO になりたくないとは言いませんが、それが目標ではありません。Nestlé には、CMO として私がやるべきことがまだたくさんあります。でももし、適切なタイミングに、ふさわしい会社で CEO を務める機会があれば、それを逃す理由はありませんよね」